スタッフ紹介

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略歴
1984年 基山にて誕生
1990年 若木小学校入学
1997年 東明館中学校入学
2000年 東明館高等学校入学
2005年 新潟大学歯学部入学
2011年 新潟大学歯学部卒業
新潟大学歯学部摂食嚥下リハビリテーション科(加齢歯科)にて研修
2012~15年 大阪大学歯学部の研修機関である西尾歯科医院にて勤務。

ご挨拶

はじめまして歯科医師ののきた健史です。いきなりですが「皆さんは歯のことを考えて生活していますか?」日常生活において生活している方はごく少数だと思います。かくいう私も歯学部に入学して歯について勉強するまで歯のことを考えて生活することはおろか正しい歯の磨き方すら知りませんでした。そんな私ですが「生まれ育ったこの地域で歯科医療を通じて皆様の歯の健康を守っていきたい」という願いがあります。その第一歩として皆様に予防の大切さを知って頂き、また、「笑顔で通える歯科医院」を作ることを目標としています。

歯科医師 のきた健史 のプロフィール

父の姿に憧れ、歯科医師になりたいと思った幼少期

私のきた健史は現在ののきた歯科医院がある基山町に次男として生まれました。幼少の頃よりこっそり歯科医院に忍び込んでは遊んでいました。その時に患者さんと接している父の姿を見て「かっこよいな」と思っていたのは、今でも覚えています。そして、本気で歯科医師を目指すことになったのは、高校生の時に進路を決める際、ふと幼少期のことを思い出したからなのです。一生懸命、患者さんの口の中を治療し、笑顔で話している父の姿を思い出して素敵な仕事だと思い返したからなのです。

真剣に考え決めた、歯科医師の夢

自慢していうことではないのですが、高校生の時は将来のことを考えてまじめに勉強したことなどなかったので、歯科医師になると決めてからでは受験に間に合うわけもなく予備校で2年間浪人をしました。しかしながら、この2年間は全く後悔などしていません。いろいろな進路を頑張って目指す方々や一緒に勉強してくれた仲間の考え方に触れ、人間的に大きくなったと自負していますし、ずっと関わっていきたいと思えるような友人にも出会えたからです。
予備校での勉強の甲斐あって、私は新潟大学歯学部に合格しました。大学の生活は勉強はもちろん頑張りましたが、バイトに遊びに旅行に満喫していたのを覚えています。

歯科医師の理想を大きく変えた勤務医時代

晴れて歯科医師になった私は研修医として新潟大学歯学部摂食嚥下リハビリテーション科(加齢歯科)というところで研修しました。そこでは本当にいろいろな方を担当させていただいて、触れ合わせていただきました。担当して治療を行っていく中、入れ歯を使用されている患者さんが口々に同じようなことをおっしゃるのに気づきました。「歯を失ってはじめて歯の大切さ、ありがたさがわかった。」というようなことです。この時から「ほとんどの方が歯の大切さを歯を失ってから痛感されるのだ。虫歯や歯周病を予防していく大切さを広めていきたい」と思うようになりました。
その半年後、大阪大学の研修施設である西尾歯科医院という歯科医院で勤務させていただきました。ここで勤務させていただいたことで自分の中の理想とする歯科医師像ががらりと変わったのです。院長である西尾先生は「患者様を感動させる歯科医院」を軸に診療をされる先生でした。西尾先生はいつも笑顔で診療されており自然と周りのスタッフや患者さんも笑顔になっているような歯科医院だったのです。
本当に衝撃的でした。勤務させていただいた3年半で西尾先生からは本当に大切なことを学ばせて頂きました。「歯で困っている患者さんがいたら歯科医師として自分のできることを精一杯して笑顔になって帰って頂くこと」、「そのために日々知識や技術を磨いていくことの大切さ」、そしてなにより「人に喜んでもらえることで自分も幸せになれる」ということを身をもって教えていただいたのです。
私は自分を育ててくれたこの地域で、西尾先生の歯科医院のように「歯科医院に来ていたでいた方に笑顔になって帰ってもらえるような歯科医院」を建て、皆さんのお口の中の健康を保つお手伝いをすることで地域に貢献することを切に願っています。